特捜部Q 吊るされた少女のポスター

考察・解説

特捜部Q 吊るされた少女(2024)

原題: Den grænseløse

6.0/10
2024
スリラー犯罪

旧友の警官が「木に吊るされた少女」の未解決事件を残して自殺した。特捜部Qのカールたちはボーンホルム島へ飛び、17年前の事件の再捜査を開始する。捜査線上に浮かび上がったのは、不気味なカルト教団の存在だった。シリーズ第6弾となる北欧ミステリー。

「特捜部Q 吊るされた少女」考察|ローセ回の意味と犯人【ネタバレあり】

「特捜部Q 吊るされた少女」は、木に吊るされた少女の未解決事件を追う特捜部Qが、島のカルト教団とローセ自身の過去に踏み込む、シリーズ第6弾の北欧ミステリーだ。新キャスト体制になって2作目にあたり、今回は相棒アサドではなく、ローセが物語の中心に立つ。原題は Den grænseløse、英題は Boundless。日本では劇場未公開で、配信とWOWOWで観られる。

「特捜部Q 吊るされた少女」は、木に吊るされた少女の未解決事件を追う特捜部Qが、島のカルト教団とローセ自身の過去に踏み込む、シリーズ第6弾の北欧ミステリーだ。

新キャスト体制になって2作目にあたり、今回は相棒アサドではなく、ローセが物語の中心に立つ。

原題は Den grænseløse、英題は Boundless。日本では劇場未公開で、配信とWOWOWで観られる。

あらすじ

カールの警察学校時代の同期で、ボーンホルム島の警官だったクレスチャンが、退官の送別会の最中に拳銃で自殺する。その手のひらには、カールの名前が書かれていた。

クレスチャンは島で起きた少女アルバーテの死を、何年も一人で追い続けていた。木の高い枝に遺体が引っかかった状態で見つかり、交通事故として処理されて捜査が打ち切られた事件だ。

死の直前、クレスチャンは特捜部Qへ助けを求めるメールを送っていた。もう駄目だ、お前たちが最後の希望だった、と。だがカールはまともに取り合わなかった。その負い目を抱えたまま、飛行機嫌いのカールはアサド、ローセとともに島へ渡る。

島では、教祖アトゥを頂点にしたカルトが集団生活を送っていた。太陽を崇め、瞑想や修行めいた儀式を掲げる、性的な搾取を抱えた集団。アルバーテもそこに出入りしていた。ローセは身分を隠して内部へ潜入する。そこから先で、彼女は足をすくわれる。ここから結末に触れる。

ローセの物語として撮られた第6弾

この第6作は、カールの捜査劇である以上に、ローセが試される映画だ。

ソフィ・トルプ演じるローセは、騙すつもりで教団に潜り込みながら、いつのまにか本当に取り込まれていく。観客は「演技で信者のふりをしているのだろう」と思って観ているのに、ある時点で、彼女が本気で洗脳されていることに気づかされる。この裏切られ方が、今作のいちばん怖い仕掛けだ。

ローセは過去に心を病んだ経歴を持つ人物として描かれてきた。教団が差し出す承認や居場所が、その古い傷にぴたりとはまってしまう。シリーズで長く脇に置かれてきた彼女を、ここまで物語の真ん中へ引き出した判断は買いたい。トルプも、強気の刑事から壊れていく女までを途切れなく見せる。

代償もある。ローセに寄せたぶん、カールとアサドのコンビとしての呼吸は薄くなった。アサドは中盤まで出番が乏しく、事態を収拾するために走り回る役回りに収まっている。シリーズの楽しみだった二人の掛け合いを期待すると、肩透かしを食う。

カルト描写の安直さと、それでも残る後味の悪さ

弱点から書く。

教団の造形が浅い。太陽崇拝に瞑想、空手まがいの所作といった記号を並べただけで、なぜ人がここまで惹き込まれるのかという説得力が足りない。潜入捜査の段取りも雑だ。正規の手続きを踏まないままローセを送り込み、数日連絡が途絶えても本格的に動かない。終盤は真相が駆け足で畳まれ、重要参考人を目の前で死なせる失態まで重なる。捜査ものとしての詰めは、はっきり甘い。

それでも観てしまうのが、このシリーズの底意地の悪さだ。

教祖アトゥは、容姿と弁舌だけで人を従わせる詐欺師として造形されている。信者は脅されてではなく、喜んで自分を差し出す。だからこそ薄気味が悪い。犯人を追い詰めても、死んだ少女は戻らないし、踏みにじられた信者の時間も返ってこない。「特捜部Q」が毎回突きつけてきた、ハッピーエンドは用意しないという姿勢は、今作でも崩れていない。因果応報はきちんと果たされるのに、後味だけはずっと苦い。

原題「Den grænseløse」が指すもの

邦題「吊るされた少女」は、木に吊るされたアルバーテという被害者の像を看板に立てる。

一方、原題 Den grænseløse は「境界がない」「際限がない」という意味だ。見ているものが違う。原題が指しているのは、加害の側の歯止めのなさだ。

教祖の支配には線が引かれない。信者の体も心も、際限なく踏み越えられていく。洗脳とは、人が自分と他人のあいだに持っている境界を溶かす行為であり、ローセが落ちていく過程はその実演になっている。真犯人の倒錯にも、踏み越えてはいけない一線という発想が初めから欠けている。被害者の遺体を看板にした邦題より、加害の構造を名指しした原題のほうが、この映画の中身を正確に言い当てている。

演出で印象に残る点

監督オーレ・クリスチャン・マセンは、陰鬱で湿った北欧ミステリーの空気をきちんと継いでいる。

掴みの強さは、退官式での自殺だ。祝いの席が一瞬で凍りつく落差が効いていて、観客はいきなり事件の真ん中へ放り込まれる。終盤、犯人の乗った車が崖から落ちる場面を、運転手の視点から見せる演出も忘れがたい。落下の衝撃を観客の体に直接ぶつけてくる撮り方で、突き放すような幕切れによく合っている。

ボーンホルム島の風景の美しさと、そこで起きる出来事の陰惨さの落差も、このシリーズらしい。

まとめ

粗いが、退屈はしない一本だった。

カルト設定の安直さと、潜入捜査の杜撰さ、駆け足の決着は擁護しづらい。それでも、ローセを主役級へ押し出した挑戦と、救いを与えない後味の強さで、新キャスト体制の2作目として前作「知りすぎたマルコ」より手応えがある。

トムセンの不機嫌そうな眉間の皺が板についてきて、新生・特捜部Qがようやく自分の足で立ち始めた印象も受ける。シリーズを追ってきた人なら、続編が出た事実そのものを含めて、観て損のない6作目だ。

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