

考察・解説
マーティ・シュプリーム 世界をつかめ(2025)
原題: Marty Supreme
物語は1950年代のNYを舞台に、実在の卓球選手 マーティ・リーズマンの人生に着想を得た物語。 卓球人気の低いアメリカで世界を夢見る天才卓球プレイヤー、マーティ・マウザーは、親戚の靴屋で働きながら世界選手権に参加するための資金を稼ぐ。ロンドンで行われた世界選手権で日本の選手に敗れたマーティは、次回日本で行われる世界選手権へ参加し、彼を破って世界一になるために、ありとあらゆる方法で資金を稼ごうとする・・・・。
「マーティ・シュプリーム」考察|クズ男の正体とラストの意味【ネタバレあり】
「マーティ・シュプリーム 世界をつかめ」は、卓球で世界一を夢見るクズで嘘つきな青年が、遠征費の金策に手段を選ばず突き進む姿を描く、ティモシー・シャラメ主演のアメリカ映画だ。「アンカット・ダイヤモンド」のジョシュ・サフディが監督し、第98回アカデミー賞で9部門にノミネートされた。
※この記事は結末に触れます。
「マーティ・シュプリーム 世界をつかめ」は、卓球で世界一を夢見るクズで嘘つきな青年が、遠征費の金策に手段を選ばず突き進む姿を描く、ティモシー・シャラメ主演のアメリカ映画だ。
「アンカット・ダイヤモンド」のジョシュ・サフディが監督し、第98回アカデミー賞で9部門にノミネートされた。
あらすじ
1951年のニューヨーク。23歳のユダヤ人青年マーティ・マウザー(ティモシー・シャラメ)は、卓球で世界一になることだけを夢見ている。
叔父の靴屋で働いてはいるが、本気で続ける気はない。働くのは、世界選手権の遠征費を稼ぐためだ。ロンドンの大会では、日本のエンドウ(川口功人)に敗れていた。次の日本での大会で雪辱を果たすこと。それが彼の頭の中のすべてだった。
ところが、不倫相手のレイチェルが妊娠し、卓球協会からは選手資格を剥奪され、資金も底をつく。
マーティは、巡業に出たり、靴屋の売上に手をつけたり、スポンサーに泣きついたり、引退した女優ケイ(グウィネス・パルトロウ)に取り入って金目の物をせしめたりと、ありとあらゆる手で渡航費をかき集めようとする。ここから結末に触れる。
卓球映画ではなく、金策に走る男の映画

予告やタイトルから卓球の立身出世物語を想像すると、面食らう。試合のシーンは思いのほか少ない。
映画の大半は、マーティが金をかき集めるために走り回るパートに費やされる。詐欺すれすれの手口で、その場しのぎを重ねていく。
卓球の自伝映画ではなく、金策に奔走する男の物語だと割り切ったほうが、入り口でつまずかない。
サフディらしい疾走感が全編を支配する。ハイテンションのまま、マーティが次の手、また次の手と動き続け、観客は2時間半ずっと振り回される。ただ、この金策パートはかなり長い。
中盤はテンポが上がりきらず、タルいと感じる人もいるはずだ。149分という尺もあって、人を選ぶ作りなのは間違いない。
共感を拒むのに、目が離せない
主人公の好感度が、ここまで低い映画も珍しい。マーティは嘘つきで、女たらしで、自己中で、おまけに沸点が低い。
多くの映画が主人公を好きにさせようと仕込む同情の余地を、この作品はほとんど用意しない。途中で席を立つ観客がいてもおかしくない造形だ。改心も成長も、分かりやすくは訪れない。
それでも目が離せないのは、彼の執念のせいだ。何度つまずいても、何度恥をかいても、マーティは止まらない。
倒れては立ち上がるボクサーのような必死さが、嫌悪を押しのけて画面に引きつける。シャラメは王子様めいた美青年ぶりを完全に封印し、安っぽい口ひげと胡散臭い笑みで、品のないクズを生ききった。共感ではなく、エネルギーで観客をねじ伏せる。
この振り切りが、各賞の主演男優賞をさらった理由だろう。サフディが「グッド・タイム」や「アンカット・ダイヤモンド」で撮ってきた、追い詰められた小物の疾走と、同じ血が流れている。
原題と邦題、そしてラストの曲が指す「世界」

タイトルには仕掛けがある。原題の「Marty Supreme」は、マーティが自分に冠した「最高」という虚勢だ。
邦題の「世界をつかめ」は、その野心をそのまま掲げている。
だが彼は、卓球の世界選手権には結局出られない。資格を失ったまま、最後はロックウェルの会社の販促興行という非公式の場で、エンドウと向き合うことになる。一度は指示どおりに負けた彼は、それでも引き下がれず、金をかなぐり捨てて真剣勝負を挑む。そこで競り勝ったとしても、世界王者の称号が手に入るわけではない。
ラストでマーティは新生児室の前に立つ。たくさんの赤ん坊の泣き声のなか、ティアーズ・フォー・フィアーズの「Everybody Wants to Rule the World」が重なっていく。
誰もが世界を支配したい、と歌う曲だ。
彼がつかんだ「世界」は、卓球の頂点ではなく、わが子という無限のほうだった。
サフディはこの結末を、夢の葬式であると同時に、新たな夢の誕生として用意したと語っている。
曲の歌い出しは「ようこそ、君の人生へ」。野心だけを追い続けた男が、最後にようやく自分の人生の入口に立つ。
原題の虚勢と、邦題の野心と、この曲とが、ラストで一点に重なる。
エンドウと戦後日本、その描き方の賛否
マーティがエンドウに執着する背景には、戦後の日米の影がある。
エンドウは、戦時中の爆撃で聴力を失ったろうあの選手で、敗戦国の日本が戦後はじめて国際舞台に送り出した英雄として描かれる。国家の威信を背負った相手だ。
真面目に復興へ向かう日本と、戦勝の高揚を引きずったまま勢いで押し切ろうとするアメリカ。マーティの執念には、その時代の空気が透けて見える。
エンドウ役に、実際に聴覚障害を持つ卓球選手の川口功人を起用した点は、素直に評価できる。
かつてのハリウッドのように、日本人役を別の俳優が演じる不自然さがない。サフディは東京の上野恩賜公園でロケを行い、日本への敬意を語ってもいる。
一方で、終盤の日本描写には批判も出ている。日本の観客の芝居がぎこちなく、戯画的に映る場面があり、せっかくの再現度に水を差す。リスペクトの構えと、画面に出た結果のあいだに、ずれを感じる人は少なくない。
「マーティ・シュプリーム」考察|クズ男の正体とラストの意味【ネタバレあり】のまとめ
好きなタイプの映画ではない、と言いながら頭に残る。そういう感想がしっくりくる一本だった。
共感を拒む主人公と、長すぎる金策パートは、はっきりとした弱点だ。日本描写の粗も惜しい。それでも、シャラメの捨て身の怪演と、サフディの息もつかせぬ疾走、そして原題と邦題とラストの曲を一点に集める着地は、よくできている。
世界をつかめなかった男が、最後に別の世界を抱く。
そのねじれた余韻のために、長い2時間半を走り抜ける値打ちはある。